長崎紀行7

20241120

旅行4日目10/23  今日は、長崎市中心部で終始するつもりです。朝食レスランでは、昨夜のテキサスの両親が近寄って来て、お互いの今日の行動予定を尋ね合ったり、件の寿司屋の写真を見せて貰ったりしました。私たちは、昼、茶わん蒸しで有名な吉宗(よっそう)に行く旨、伝えると父親は、スマートフォンに「yosso」と書き留めていました。

きょうとあしたは、部屋をグレードアップして、10Fにある、山と港と街並みの景色を楽しめるバルコニー付きの広い部屋に泊まりますので、12時迄に荷物を纏めてフロントに預ける必要がありました。

時間通りにフロントに預け、これから昼食に出掛けます。上述した通り、行先は吉宗です。新入社員(今から47年前)のとき、昼に会社の先輩に連れて行かれて、初めて銀座吉宗で食べたのが長崎ちゃんぽんと茶わん蒸しの定食でした。銀座8丁目の中央通り沿いにある長崎センタービルの地階にあって、螺旋階段を降りて行くのですが、昼には、列が階段を上方に向かって伸びる程の人気店でした。

このビルには、長崎センタービルの名称通り、長崎新聞の東京支社、長崎放送の東京支社もテナントとして入居していました。現在は、銀座吉宗は、本店から独立して他の場所に移転しているようです。

爾来、銀座吉宗には、年に数回は、通っていた時期もあり、家人とも何度か一緒に食べていて、そういう事情で、吉宗長崎本店の茶碗蒸しは、一度は食べねばという使命感から、今日を迎えました。

交通手段はタクシー。駅前のタクシー乗り場から乗ります。運転手さんが話し好きで、道中、長崎に関する面白い話をしてくれました。有名な祭り「長崎くんち」は、毎年10月7日から3日間、曜日に関係なくこの日程は厳守で催されていて、この期間は、長崎は一年で最も観光客で混み合い、ホテルの宿泊料金も跳ね上がります。

細い道、一方通行の道をプロの運転15分で、目的地に到着。メーターは、1,100円台(1,190円?)でしたが、丁度500円玉がありましたので、千円札と五百円玉を渡して、降車しました。観光案内をしてくれた運転手にちょっとした謝意を示すのに五百円玉は便利ですね。

このケースでは、考えられる常識的な支払いパターンは次の通りだったと思われます。                                             ①1,190円丁度で支払い                                       ➁1,200円渡し、10円のお釣りを受け取る                              ③1,200円渡し、”お釣りは、どうぞ(又は要りません)”と言う                             ➃1,500円(この場合、五百円玉が前提)渡し、”お釣りは、どうぞ(又は要りません)”と言う       ⑤2,000円渡し、”お釣りは、どうぞ(又は要りません)”と言う  

現金払いの場合、各支払いの仕方を評価すると、                                         ①は、最も普通。お釣りの計算と客に10円玉を手渡す手間を思えば、運転手はウェルカムですね。  ➁は、都会で仕事中は当然。観光地だと、ちとつまらない気がします。余裕が欲しいですかね。                                           ③は(お釣りが10円なので)、運転手の多くは、侮辱されたと思うでしょうね。          さて、お釣りが十円単位の場合、お釣りの額は当たり前ですが、以下の9通りです。                                10円 20円 30円 40円 50円 60円 70円 80円 90円                     

50円を分水嶺として、左に行くほど危険、右に行くほど自然(韻を踏んでいるのにお気付きか?)    分り易く表現すると、左に行くほど”釣りは、とっとけ!” 右に行くほど、運転手のお辞儀の角度が僅かに深くなります。                

➃は、最もスマートでおしゃれです。(私個人の見解)                          ⑤は、大げさ過ぎる気がします。(実は、これが運転手にとっては、最もウェルカム?) 

今回の件で、百円玉を切らしていて、たまたま、五百円玉があったので、うまく行きましたが、       チップの習慣のない日本では、タクシーに乗るときは、地方(クレジットカード等が使えないケースがあります)では、とくに、千円札(一万円札、五千円札は、長距離以外は使用すべきでないと、今の私は思うようになりました。)五百円玉、百円玉4枚、五十円玉、十円玉4枚を小銭入れに忍ばせておけば完璧ですね。

さて、タクシーから降りて、吉宗本店を見上げます。玄関二階庇から提げられた、ずらり並ぶ紅白提灯が華やかさを演出し、正面中央に掲げられた”茶碗蒸”と太く大きく書かれた額が、黙っていても老舗の風格を訪れる者に感じさせます。さすが本店の店構え。パンフレットには、慶応二年(1866年)、吉田宗吉信武が「吉宗(よっそう)」として、茶碗蒸し専門店を開業したと記されています。

数分待たされた後、テーブルに案内されます。私は、当然、茶碗蒸し。彼女は、銀座店では、ばってら(鱒ずしと酷似)を、よく食べていたということで、本店でも、ばってら。

注文して10分。大きな茶碗蒸しと、ボリューム満点のばってらです。

どうしても、本店>支店と受け止めていますので、期待値が高過ぎてしまいました。食べた印象はと言うと、結果は、本店=支店でした。それでも、十分に満足しました。やはり、本店制覇は大事ですね。

店の前で、観光客ですから記念撮影。若いグループの歩行を止めてしまったことに気付きませんでしたが、高齢者ということで、彼らは、優しく待って呉れていたようでした。

食後、ぶらぶらして、路面電車で帰ろうと、ナビを見つつ方向を指示する彼女に従います。どこかでコーヒーでも飲もうかと思いつつ店を探しながら停留所方向の思しき道を進んで行くと、あれ不思議、つい一昨日、崇福寺から思案橋まで歩いたときに、店の前で数人並んでいて、印象に残った例の喫茶店のすぐ近くに来ていました。

これは、もう、この店に入るしかないと、期待を持ってやや重いドアを押します。昭和レトロな店で、八割方、席が埋まっていて、いい感じです。若い長身男性店員から一番手前の4人掛けテーブルを指示されました。

メニューを見ます。一昨日、うまそうに見えたサンドウィッチを、腹はもういっぱいでしたが、注文しようとした処、連れに止められ、残念ながら私はコーヒーオンリー。メニュー表記は、珈琲。いわゆるブレンドコーヒーです。この店では、ミックスコーヒーと言うらしい。 彼女は、バナナジュース。

飲み物が届くあいだに、店内を見渡します。客層は高齢者が多く、旅行者は女性が多そう。見るからに週に2回以上来てそうな男女問わぬ高齢常連客。ご近所らしき中年女性。壁には、店の歴史を感じさせる品々が貼ってあったような気がします。遠藤周作の文章(小説?エッセイ?)に、この喫茶店の名前が出て来るらしく、その一節がテーブル近くに貼られていました。

10分弱の期待感タイム。コーヒーが届きました。第一印象、カップとソーサーがとても高級品に見えます。嬉しいですね。これは、高得点です。良き器で飲む珈琲は、それだけで、美味しく感じます。飲んでみます。当然のことながら、うまい。ですが、コーヒーの味にそれ程の拘りを持たない私は、どの程度のうまさなのか論評できません。

遅れてバナナジュースがやって来ました。ストローで一口飲んだ彼女が、驚くほど美味しいと申すので、味見します。「これは、うまい!」と私でも分かる美味さです。さぞやフルーツサンド(食べたかったぁ~)です。

店の雰囲気と言い、味と言い、文句なしです。サンドウィッチが、うまいことは間違いないでしょう。

高齢読者諸兄姉、長崎を訪れたら、この「喫茶 富士男」は、外せません。

満ち足りた気持ちで、一昨日に続き、今日も思案橋から路面電車に乗り、ホテルに戻ります。15時にフロントで鍵を貰い、今日明日泊まる10Fの部屋へ。

鍵で部屋の重いドアを開けます。出入り自由なバルコニーが特徴の広い部屋で、大きな窓が室内からの眺めを分断せず、美しい景色です。これまでの部屋も快適でしたが、ラスト2日間は、モアベター(?)です。

途中で部屋を変えた理由は、同じ部屋での5日間は、さすがに飽きが来るだろうと思ったからでした。若いときは現役で仕事をしているので、1泊2日、或いは2泊3日の忙しない旅行でした。そのため、旅先のホテルは寝に帰る場所でしかなく、部屋に多くは求めません。高齢者となった現在は、ホテル・旅館でのんびり過ごす時間が長くなりましたので、部屋に対する(家人の)要求度が高まります。          高齢読者諸兄姉、5日間の同一ホテル滞在では、ルームチェンジが面白いと思いますよ。

いつもの如く、シャワーを浴びて、さっぱりして、白いガウンに袖を通し、バルコニーに出ます。目の前に広がる景色と、街の活気を楽しみます。目の先に稲佐山が見えます。頂上にはテレビ塔が2本。  山の斜面には、みっちりと住宅が立ち並んでいます。長崎市内は平地が狭く、坂が多く(自転車を殆ど見掛けませんでした)山の斜面に住宅を建てざるを得なかったのだと思います。これが新世界三大夜景のルーツなのだと思います。

バルコニーからベッドに戻り、TVを観ながら、ホテルライフを楽しみます。

十分に休息した後は、今夜も二杯限定のアルコール付き夕食を摂るべくラウンジに向かいます。ラウンジに入って、空いている席を目で探します。すると丁度、真ん中へんに、ソファーの席がありましたので、そこに座って、食べ物を皿に盛り付け、1杯目は、いつもの通りシャンパンで。                      

一皿目を平らげ、飲み物コーナーで焼酎を注いでいるときに、テキサス娘と遭遇。彼女曰く、”今日は、原爆記念館に行ってきた”とのこと。彼女の放った ”sad” 一言で全てが通じました。

クオリティ十分の夕食&アルコールを堪能し、帰りしな、遠くのテーブルに座るテキサス4人組に手を挙げ、”Good night!” とりわけ娘(20代前半?)が好意的に返礼してくれました。

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