長崎紀行5

20241108

3日目 10/22火曜日、小雨です。この日は、レンタカーの日です。朝、ゆったりと過ごすために9時からの予約を10時からに変更しました。”今日は、長崎市街から、クルマで1時間以内の範囲で源泉掛け流し温泉を探そう、そして、午後だと疲れてしまって、多分、気が進まなくなってしまうだろうから、朝一番の元気なうちに、原爆資料館に行こう”と決めました。

レンタカー会社は、バジェットレンタカー長崎駅前店です。店名からして、駅周辺だろうと、場所を調べぬまま、ホテルからエレベータで1Fに降りたら、お誂え向きに、チェックインの際、対応してくれた、とても親切なホテルマン(ネパール出身)が、ドアボーイとして端正にすっくと立っていました。嬉しいことに、彼の方から傘を貸し出してくれました。バジェットレンタカーの場所を彼に尋ねると、なんと、いま私たちが立っている所から75mの距離にありました。同じ長崎駅ビルです。

予約しているクルマは、カローラ同クラスで、実車は、マツダのクロスオーバーでした。料金は7,400円(10:00-20:00) この料金は、出発2か月くらい前に予約した時の料金です。ちなみに、いま、インターネットで調べますと、2か月先の料金は、10,900円。3日先は、14,500円。随分と値が上がっていますね。それでも直前予約よりは、2か月前(1か月前)予約のほうが3,600円安いですね。

原爆資料館へはクルマで10分の距離です。駐車場と入口が無意味に離れていたのが難ありです。彼女を入口で先に降ろしておいて大正解でした。

観覧料200円を支払い、入場します。入口から螺旋状のスロープを下ります。壁に沿って1千羽の折鶴(平和の象徴)が、スロープを降り切るところまで切れ目なく繋がって(連鶴)展示されています。 (1羽15cmx1,000=150m) 日本在住オランダ人芸術家が寄贈したとのこと。

展示室に入ります。淡々と事実描写のコーナーから被害の実相コーナーへ。悲惨な写真・映像のところでは、広島の資料館のときとは違えて、敢えて展示物に視線の焦点を合わせず、漠然と見るに留めました。記述箇所は、しっかり読み取るようにしました。

死者74,000人。重軽傷者76,000人。当時の長崎市民24万人。被爆者割合は実に62.5%。終戦から79年。いま、長崎に住んでいる人たちの多くに、2世代、3世代を遡れば、親戚の中に原爆被害者がいたことになるのでしょう。

多くの長崎市民が、彼ら自身が気付いているか否かに関わりなく、心の中のどこかに”原爆”の見えない二文字があるのかもしれません。

順路に沿って進んで行くと、照明が落とされていることもあって、突然、展示室の奥まったところに、大きく浦上天主堂聖堂の残骸が現れます。 想像を絶する高温の熱線と炎で黒く変色した聖像、強烈な爆風で崩壊した石の柱。当時の惨状が想像できて、激烈な衝撃として五感に迫って来ます。入場時に手渡されたA4サイズを四つ折りにしたパンフレットの表紙写真がまさにそのものです。

滞在小一時間。外国人の姿も多く見られました。大きな声で言葉を発する者はいません。修学旅行中と思われる、普段は賑やかな女子高校生(中学生?)の一団も。

三度目の長崎訪問で、義務と責任を果たせた思いで、原爆資料館を後にしました。

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