長崎紀行3

20241031

旅行2日目10/21(月)、9時に7Fレストランの朝食会場へ。ビュッフェ形式、十分満足。人参フレッシュジュース3杯お代わりで、寿命が3日延びました。地元島原酪農の瓶牛乳は、しっかり2本。炭水化物の摂り過ぎに注意し、健康的な朝食を心掛けました。

朝食後、13Fラウンジでコーヒーを飲みながら新聞に目を通します。旅行先では、地元の新聞を読むようにしています。長崎と言えば、勿論、長崎新聞。普及率は25%で1位、2位は読売新聞5.8%、3位は西日本新聞4.5%。(2024/2025読売メディアガイドより)

当然ながら、ローカル情報が詳しく載っています。興味深いのは、「お悔み欄」というものがあって、地元の人であれば、一般人であっても、係の部署に死亡記事の掲載を希望すれば、無料で掲載してくれるところが凄いと思います。oo市oo町のooooさん(oo歳)死亡月日、時刻!いつどこで通夜葬儀告別式。喪主・葬儀委員長の氏名が掲載されるようです。

高齢読者諸兄姉、旅先では地元紙を読むと、面白いですよ。

新聞に目を通した後、今日の行動計画を練ります。明日は、レンタカーを予約をしていますので、今日は、予定通りに、市内を攻めることにします。

部屋に戻って、外出の準備に入ります。今日も暑くなりそうなので(最高気温は30度と夕方のTVは報じていました)、半袖ポロシャツ。念のため、薄いセーターも持ちます。(結局、着ることはありませんでした。)帽子は必携です。

11時頃、エレベータで12Fから7Fで乗り換え1Fに降り立ちます。白を基調とした外観の、このホテルは、JR長崎駅ビル(2023年秋開業)の7F~13Fを占めています。6Fがオフィス。1F~5Fが商業施設「アミュピュラザ長崎新館」で、茶色の外観がシックです。直結の長崎駅構内最手前の観光案内所に行くことにします。「とりあえず観光案内所」です。

そこで、観光パンフレット各種を眺め、そのうちの1種を頂戴し、係員に相談したりして、「市内観光には1日乗車券」の鉄則?に従い、路面電車1日乗車券600円で市内を楽しむことにします。

駅構内から外に出ると、遠くに路面電車のホームが見えます。とにかく、そこを目指そうと、歩き始めます。駅と幹線道路は150mくらい離れていますが、幹線道路を跨ぐために大きな歩道橋が中空をぐるりとしています。

歩道橋は、足の悪い同行者は当然ながら、私自身も、階段の上り下りが辛くなって来ていて、エレベータとエスカレータがあるので、やれやれです。このときはエレベータを利用しました。

やっとのことで、「崇福寺」行き(途中に「新地中華街」があります。)路線のホーム(3番ホームだったか)に辿り着きました。1日乗車券は、どこで買えるのだろうかと辺りをきょろきょろしますが、それに関する表示文言は見当たりません。(後で知ったことですが、観光案内所はもちろんのこと、宿泊しているホテルでも買えたのでした。)

そうこうするうちに、電車は入って来ました。運転士が降車客の切符、パス(スマートフォンが殆ど)を検め終わるタイミングで、1日乗車券を、車内で買えるかどうかを尋ねたら、運転士は〈§¶×Ξ・・」(よく聞き取れませんでした)と言って、後方近くのビルを指差します。

偶々、バスターミナルのビルと物産館のビルが隣り合っているのを、昨日、空港バスの車窓からと、つい今しがた、歩道橋の中空部分を歩きながら目視していたので、(「県営バスターミナル」と「物産館」の大きな掲示がありました)運転士の言ったことは、なんとなく意味が分かりました。

彼女をホームのベンチに待たせ、エレベータ、歩道橋、階段、歩道を往きます。先ほど、目視した県営バスターミナルは、歩道橋を降りてすぐです。ここで聴いてみようと、自動ドアを通って、窓口で尋ねたところ、”隣のビルの2Fの土産物売り場のレジで購入できます”。とのこと。

建物ロビー後方の階段が、物産館に通じています。売り場のレジに行くと、「路面電車一日乗車券 600円」の貼り紙が小さくレジの脇に貼られていました。観光客には不親切だなと思いながら、二枚購入して、早足でホームに戻ります。

路面電車はすぐにやって来て、平日昼間ですが、結構、混んでいましたが、運よく二人並んで座ることが出来ました。暫し窓外の景色を楽しみます。3つ目の停留所は、日本史で習った「出島」。以前、長崎に来たときも、電車から見ている筈ですが、あまり記憶にありませんでした。

当時の外国人は、この狭いエリア(人口の島。東京ドームの1/3の広さ位)に閉じ込められて、外出を許されていたのは、医師シーボルト、唯一人であったと空港バスの運転手が解説してくれたことを思い出しました。シーボルトは、てっきりオランダ人とばかり思い込んでいましたが、ドイツ人だということです。

「出島」を通過すると「新地中華街」。これも通り過ぎて、3つめが「思案橋」です。

高齢読者諸兄姉は、この地名を耳にして、ひょっとして懐かしさを感じたのではないでしょうか。

そうです、♪思案橋ブルース♪です。 “哭いているような長崎の街 雨に打たれて ながれた 二つの心は かえれない かえらない 無上の雨よ ああ長崎 思案橋ブルース“(詞曲:川原弘 1968年4月 中井昭・高橋勝とコロラティ-ノ)

もう1曲あります。ブルースの女王 青江三奈 ♪長崎ブルース♪ ”逢えば別れが こんなにつらい 逢わなきゃ 夜がやるせない どうすりゃいいのさ 思案橋 丸山せつない 恋灯り ああ せつない長崎ブルースよ”(1968年7月 青江三奈)吉川静夫作詞 渡久地政信作曲

そしてご存知、歌詞に思案橋は出て来ませんが、♪長崎は今日も雨だった♪(1969年1月)”あなたひとりに かけた恋 愛の言葉を 信じたの 探し 探し求めて 一人 一人 さまよえば 行けど切ない 石畳 あゝ 長崎は今日も雨だった”(1969年1月 内山田洋とクールファイブ永田貴子作詞 彩来雅夫作曲)

1968年~69年、僅か1年のあいだに、長崎を舞台とした歌謡曲が3曲、大ヒットして、当時、一大「長崎ブーム」を起こしたようです。

次の停留場は終点「崇福寺」です。少し登り坂となっているところにホームはあり、崇福寺を指し示す矢印の方向に歩き始めます。1ブロック先の処を右折して感覚的には150mの距離を歩いて右側に崇福寺はありました。唐寺のようです。

往来のカーブを速度超過で走ったら、遠心力で飛んでいくであろう方向に設置されている案内表示板を読むと、この地の唐人たちから請われて来日(来崎?)した唐僧によって1630年代に創建されたようです。寺院を潜るところの第一峰問と奥の大雄宝殿は国宝指定です。

江戸時代、日本は、幕末まで外国との交流をオランダと中国に限定していて、長崎と中国は、地理的環境もあって、非常に交流が盛んだったようです。江戸時代末期には、長崎の人口のなんと2割が中国人で華僑社会を形成していたと知ってビックリです。

長崎の代表的な祭り、長崎くんち(諏訪神社の秋の大祭)の、最も有名な龍踊(じゃおどりと読みます)(昭和20年代まで蛇踊と表記して”じゃおどり”と読ませていたけれども、県外の人からは「へびおどり」と言われていて、龍踊に表記を変えた歴史があるようです。)が、中国の踊りのようだなと以前からTVのニュース映像等で見るたびに不思議に思っていました。中国との関りが深く、中国人街があったことがその理由だったんだと長年の疑問が、ここで氷解。

寺に入るには、長い急な階段を上らねばならず、彼女は、下で待機。一人で、境内をお参りしました。実に見事な二つの国宝{三門をくぐり急な階段を登り切ったところにある第一峰門(だいいっぽうもん)と崇福寺の本堂である大雄宝殿(だいゆうほうでん)}。

そして、国指定重要文化財、県指定有形文化財、市指定有形文化財のオンパレード。文化財の宝庫と言える素晴らしいいお寺です。普段は、あまり寺社仏閣を写真に収めないのですが、今回は、多くの写真を撮らせていただきました。(彼女に見せる意味合いもありましたが)。拝観料300円は、お賽銭として入れることになっています。

高齢読者諸兄姉、初めての長崎ご旅行の際、崇福寺は、是非、ルートに組み入れてください。

さて、次なる目的地は、新地中華街です。新地中華街へは、「思案橋」停留所から、再び路面電車に乗ります。停留所までは、歩いても数百メートルの、そして僅かに下りの道なので、裏道をゆったりと歩きます。視線を右、左に移しながら。

数ブロック歩いて左に向かうと、多分、思案橋の停留所があるはず。左折したところの右手の歩道に、4,5人、店先で並んでいます。時間は13時過ぎ。喫茶店です。店先の看板にサンドウィッチのメニューもあって、とても美味そうに見えました。ちゃんぽんが決定事項のため、是非、食べてみたいと思っても店に入るわけには行きません。(数日後、全く予期せずして、ここに入店することになるとは、夢にも思ってもいませんでした。)

喫茶店を過ぎて100m強、歩いて、幹線道路です。やけに赤信号の長い思案橋交差点で、信号待ちをします。停留所は、道を半分横断した左方にあり、新地中華街方面のホームは向こう側です。彼女は、停留所へ、思案橋のあった処へ行ってみようと私は、道路を渡り切ります。かつての思案橋は、現在は、川が埋め立てられて整備された道路の思案橋交差点の角に復元された欄干を残すのみとなっています。アングルを変えながら欄干を撮り、交差点から数十メートルの距離に、いかにも夜は風情があるに違いなく、ムード歌謡の世界となるであろう思案橋横丁の入口アーケードを写真に収めます。

停留所に戻り、電車に乗って数分で新地中華街。10月下旬でも強い日差しの中、電車を降りて数分歩いて、新中華街入り口。両端向かい合わせに老舗中華料理店があって、前回、感動したちゃんぽんを食べたのは、どちらの店だったか、ハッキリとは断言できませんでしたが、こちらだろうと思う方に入りました。

13時半頃でしたが。店内ほぼ満席。これは期待できそうだ。

席に案内され、彼女がメニューを見ながら「普通のちゃんぽんと普通の皿うどんでいい?」と尋ねます。そのとき、”普通”と聞いて、私の頭に浮かんで来たことは、”カップヌードルには普通味、カレー味、シーフード味等々、さまざまな種類があるが、やっぱり普通味が一番うまいんだな、これが”、というようなことでした。それをイメージしていたので、彼女の問い掛けに対して黙って頷きます。ややあって、ウェイトレスが注文を取りに来ました。「ちゃんぽんと皿うどん1つずつ」。彼女が応えます。

これが、十数分後に大きなミスであったことを知ることになります。そして、食べ物に関しては、今回の長崎旅行唯一の痛恨事でありました。

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