南紀白浜熊野紀行5

20250330

2/17 旅行3日目。

スマートフォンの目覚ましを4時に設定しておいたのですが、2時頃に一旦、目が覚め、時間を確認し、流石にこの時間は早過ぎると、蒲団の中で目を瞑っているうちに再び寝入り、浅い眠りのせいか、その後、1、2度、目を覚まし、4時直前、隣の蒲団で寝ている家人を起こさぬよう目覚ましが鳴るのを未然に防いで、思い切って蒲団を抜け出します。トイレに立ち、洗面所で顔を洗い、口を漱ぎます。身支度の衣類を両手で抱え、畳の部屋と襖で間仕かれた窓際の広縁にそ~と移動します。どの旅館にでもある、小さなテーブルを挟んで向かい合わせの2つの椅子。壁に取り付けた鏡と小さな洗面台を正面に見る、和室側から見て右手の位置に座ります。ときは2月半ば(前の週に大雪が降ったことをこの日の午後、知りました)、山の中、ガラス1枚カーテン越しに外の冷気を感じます。

静かに身支度を始めます。手袋なし、頭に帽子の防寒第一の恰好。静かに支度していたつもりでも、先刻、家人は目を覚ましていたようで、”気を付けて”の小さな声を後に襖を閉めドアを開き、廊下に出て施錠します。部屋の鍵をポーチに入れます。タオル二つ(うち一つはタオルハンガーでほぼ乾かした状態の小さな白地の宿のタオル。黒い文字で湯の峯荘と記されています。)は、コートの左右のポケットに一つずつ収めます。

部屋の目の前の緩やかな階段を一段また一段と降りて行き、踊り場で方向転換して、また一段、一段、フロントに降り立ちます。

早朝、人の姿は見えず、し~ん、としています。フロント付近以外は、照明を落としていて薄暗い空間を玄関に向かいます。

部屋番号の札が置かれていて、宿泊客の靴が揃えられています。303と番号が書かれた玄関の真ん中辺りにまっすぐ進み、白いスニーカーに足を通します。

玄関ドアを開き、50m先に停めてあるクルマを目視し、ポケットのキーを確認します。近づくと、ルーフに薄っすらと雪が見えます。息が白い。ドアを開け、エンジンを掛けます。エンジン音が山の静寂を破ります。暖気運転1分。時刻は4時35分。シートベルトを締め、慎重にスタート。

駐車場の地面は、ところどころ氷が張り、スリップに要注意です。小雪がちらついています。駐車場から敷地外へ出ると山を下ることになります。オートマからローにシフトチェンジ。時速10kmで進行。すると、100m下るか下らないうちに、突然、ヘッドライトの視界に山を登って来る母鹿と小鹿が視界に入って来ました。こちらは驚きましたが、あちらは、クルマには慣れているのでしょう、平然と道路の左端を登って来ます。

鹿は神の使いとも呼ばれています。これから湯垢離場に向かい、午後には、熊野本宮大社にお参りするつもりですので、幸先良い出会いです。あの鹿親子が、ここで生きて行くのに十分な自然が熊野には有りそうです。

さて、ここで、なぜ、目覚ましを4時にセットしたかをご説明します。

           一言で申せば  B5 A5 です。

B5すなわちbefore5o’clock, A5すなわちafter 5 o’clockです。

壺湯の受付開始時刻は朝6時。1番札を取り逃がさない為には、当然6時前に並んでおかねばなりません。6時前と言っても5:59も5:00、4:00、3:00、2:00、・・・も6時前です。

並ぶ時間の設定をどうするかは、昨夜、じっくり考えました。

考えられるケースは以下の8通り。                               1番札を逃すケース

(a)7時頃に行ってみたら、先客が既に1番札を取っていた。⇒当たり前であって何の感慨もない。                             (b)6時少し前に行ってみたら、先客が並んでいた。 ⇒少々、悔しいが、この時間では、この結果は十分予測できるし、そもそも、悔しがる資格もない。                                        (c)5時少し過ぎにに行ってみたら、先客が並んでいた。⇒結構早起きしたのに、先を越された。このケースが一番悔しく、この先もずっと悔しく思い続けるだろう。                                        (d)4時に行ってみたら、先客が並んでいた。⇒この時間で、既に先を越されていたのなら諦めもつく。 

1番札を獲得するケース

(e)7時頃に行ってみたらほかに誰も来ていなかった⇒理屈上は最小努力最大利益だが実現可能性(feasibility)は、0に近い。このような僥倖を期待してはいけない。                (f)6時少し前に行ってみたら、自分が一番乗りだった。⇒これが、現実的な一番ラッキーなケースだが、確率的にどうなるかは5分5分かも知れない。吉と出ればよいが凶とでたら・・             (g)5時少し前に行ってみたら、自分が一番乗りだった。⇒受付開始時間の1時間前に並んだおかげで1番札。用意周到準備万端の勝利で満足感が高そう。                            (h)4時に行ってみたら、自分が一番乗りだった。⇒1番札は嬉しいが、2時間も前から並ぶなんてちょっと大袈裟だったか。

上記の考察?から、運命の分水嶺は午前5時と踏み、選択肢(g)を選んだという次第です。

何としても5時前には、受付前に並ばねばという思いで、いま、気は急いていますが、慎重に山を下っているところです。ダッシュボードの時計は、4時40分を指しています。(正確に表現すると”示して”います。アナログではなくデジタル時計だもんで)

フロントガラスの先に白いものが風に舞っています。ところどころ緩やかなカーブのある曲がりくねった道を無事通過しました。平地に出ます。平らな道を1~2分走ると、センターラインの引かれた道に合流し左折します。目の先に公営駐車場が見えてきます。クルマが停まっていませんように。

ところが、駐車場には十台近くのクルマが。”しまった!遅かったか!もっと早くにすればよかったか “     心の声を列挙してみました。

駐車場の中ほどにクルマを進めるまでのあいだに、停めてあるクルマを観察し、1台を除いて、無人であって、それも、つい今しがたまで、クルマに人がいた風ではなかったことを感じ取りました。

この駐車場は、おそらく、専用駐車場を持たない宿の泊り客も利用するのではないかと推測しました。   

クルマを停め、受付まで急ぎ足で歩き始めます。駐車場から150m。道路は川沿いを走っていて、受付けは橋を渡った先にあるので、ここからは見通せません。                    あと、140m 緊張が走ります                                   あと、100m 胸がどきどきして来ました                           あと、 80m 口の中がカラカラ(気分的に)                          あと、50m。 橋の手前から受付を斜めに見通せる位置に来ました。 

人の姿は見えません。

やったぁ!

4時50分。誰もいません。受付手前2mの処を立ち位置とします。あたりはまだ暗く、雲の隙間から星が瞬いています。先ほどの小雪は止んでいます。かなりの寒さですが、防寒第一の服装に救われました。これから1時間ここで待つことになります。じきに、後に続く人が現れるのではないかと思って立ち続けていましたが、結局、6時になるまで、他に誰も来ませんでした。

不思議なもので、待っているあいだ、むしろ、2月半ばのこの暗い寒さの中、星を見上げながら思いを馳せる時間を持てていることは、なんと贅沢な事だろうと非常に満ち足りた気分でした。

5時30分。公衆浴場関係者であろう中年男性が、まず、壺湯方向に歩いて行き、ややあって、戻って来て、受付の奥方向にある、薬湯・普通湯に歩いて行きます。どうやら準備を始めたようです。

その彼は、少し経って受付に近づいて来ました。”おはようございます”、”おはようございます”と挨拶を交わします。

5時40分 受付前の自動券売機に電源を入れました。照明が付き、周囲が明るくなります。彼は、その後、受付ブースに入り、何やら準備を始めます。                         5時45分、ブースの小窓が開きます。 ”壺湯、ひとりです” ”自動販売機のつぼ湯1名800円”を押して下さい”、”はい”と言って、用意した500円玉と100円玉3枚を投入して、入浴券を買い、彼に提示します。

彼から、”入浴時間30分。入口に番号札を掛け、終わったら、この窓口まで番号札を持って来て下さい。先ほど、湯を調べ、新しい湯なのでとても熱いです。二つの水道蛇口があるので、それで冷ましてから入って下さい”との注意事項、”石鹸・シャンプー類は使えません”との入浴心得を聞き、ラミネートでカバーされた1番札を貰います。

”行ってきます”と、少し白み始めた中、足早に細い道を壺湯に向かいます。100mほどの処に、川原に降りる階段があって、その入り口はロープで通行遮断されていて、「入浴者のみ通行可」の札がぶら下がっています。ロープを外し、中に入って、ロープを戻します。

一歩一歩、注意しながら降りて行きます。

階段を降り切った先20mのところにつぼ湯の看板のある木でできた小屋があります。番号札を所定の位置に架け、「ここで靴を脱いで下さい」の指示のもと、靴を揃え、ドアを開き、中から煽り止めの鍵を掛けます。

裸電球の下、辺りは明るいとは言えない状況です。眼下5mにまるい壺のような形状の浴場の湯面が見え、その底からは、温泉が湧き出ていると事前に調べています。いびつな円形で直径2mは有りそうです。手摺があるとは言え、急な階段を非常に注意深く、身体を斜めにしながら降りて行きます。ここで滑って転んで頭を打ったら一大事です。80代だったら、とても一人での入浴は、危険過ぎます。一段、一段、・・段数は10前後だったと思います。無事、降り立ち、30分しか(私の場合は10分おまけの40分)ありませんので、急いで服を脱ぎ始めます。脱衣籠が2つありますが、厚着の為、収めるのに手間取ってしまいました。特にスマートフォンとクルマのキーと運転免許証を湯の中に落としたら大変だと思いながら服を脱いで行きます。綺麗に畳もうと思ったのですが、まだるっこしいので、途中から丸めて籠に突っ込みます。

全裸で(当たり前か)湯船の縁に立って、しゃがみ、手を湯の中に恐る恐る入れます。”あちッ”とてもじゃないがこのままでは入れません。源泉を水で冷ますのは残念ですが、止むを得ません。二つの蛇口をマックスに開きます。湯が適温になるまで、周囲を見渡します。注意事項や逸話の板が黒文字縦書きで掲げられています。

相当な量の水を加えたことになりましたが、漸く適温になったところで、備え付けの洗面器で湯を汲みます。

まず、足を丁寧に洗い流します。次に尻を入念に洗います。続けて局部を入念に洗います。そして両脇を洗い流します。公衆浴場を利用するときの最低限のマナーだと思います。いまのTVでの温泉番組では、そこのところを強調して貰いたいと思っています。

更に、掛湯が出来るだけ湯舟に跳ねないように注意しながら何度も何度も頭から湯を被ります。

時刻は、只今、6時5分。壁に丸時計が掛かっていて容易に時刻を確かめられます。

十分、身を清めた後、湯船に入ります。

“うワ~ぁ#〇〈§×・・・・!”

体の奥から自然と唸り声が出てしまいます。これぞ、本物の温泉の証です。

ここに辿り着くまでの自然の演出・舞台装置も相まって、これ以上はない!感動です。

湯は、乳白色だったか、淡い緑色だったか、判然としません。足元の砂利を足裏で確かめ、狭い湯舟の中をあっちに行ったりこっちに来たり、岩肌がくり抜かれた(洞窟状の)小さな窪みの温泉ですので、頭を岩にぶつけないよう要注意です。

一旦、湯から出て、身体を冷まし、再び入ります。着替え時間を考慮すると6時18分には湯から上がる必要がありそうです。時間ギリギリまで粘ります。

時間になりました。急いで湯から身体を出します。

入念に、湯船の縁の外を洗い流し、綺麗にします。

高齢読者諸兄姉、若い頃、泊まったユースホステルのキャッチフレーズを覚えていますか。そうです、「来たときよりも美しく」です。

火照るからだを二枚のタオルでふき取り、急いで衣服を身に付けます。脱ぐ時よりも楽でした。

6時25分。身支度を整え、つぼ湯に一礼し、石段を登り、鍵を外し、靴を履き、番号札を外し小道の階段を上がります。冷気が熱い体を冷ましてくれてとても気持ちが良い。登り切ったところのロープを外して、身体をつぼ湯の勢力圏に出します。

ロープからすぐの処に、待合所のベンチがあって、そこに女性が一人座っていて、その近くで中年男性が煙草をくゆらせています。二番札の夫婦のようです。彼は、少し面白くないような顔をしていた印象でした。そうでしょうとも、彼も内心、一番乗りを期していた筈です。不思議と申し訳ないなという気持ちが湧きません。一番乗りに掛けた熱量が私の方が勝っていた訳ですから。そんな内心をおくびにも出さず朝の挨拶をして、通り過ぎ、受付事務所に、最高のお湯でしたと礼を述べ番号札を返しました。

高齢読者諸兄姉、熊野詣、熊野古道行脚をお考えなら、何を置いても世界遺産の壺湯を体験して下さい。できれば、というより、運もありましょうが、必ず早起きして一番札で。季節は12月、1月、2月の冬季が良いと思います。一人の場合は、70代のうちに。

                                 

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